〝支那大陸に、龍烟の鉄と大同の石炭が存在しなかったならば、支那事変、 引いては大東亜戦争も 、或いは起こらなかったかも知れない〝
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龍烟鉄鉱開発史

元龍烟鉄鉱株式会社理事長
山際 満壽一 

資料提供 原富男氏

龍烟鉄鉱区の発見

“蒙彊の眠れる宝庫”として注目を浴びていた龍烟鉄鉱は、支那事変(1937.7.7昭和12年盧溝橋事件)
を契機として、日華蒙、三民族の絶えざる努力と協力により、世界屈指の大鉄山として開発さ れるに至ったが、
アンダーソンによるその発見は、事変勃発を遡ること僅か二十年、 今から数えて五十年前(年)のことであった。

瑞典(スエーデン)の著吊な地質学者アンダーソンは、民国三年(1914大正三年)、鉱物資源調査
顧問に招かれて、北京の農商部に着任して以来、十二年の間に渉って数々の研究成果、わけても
考古学史上上滅の足跡(1923年周口店の洞窟で北京原人(シナントロプスぺキネンシス) の歯を発
見)を残したわけであるが、当時の彼の吊著である『黄土地帯』を見ると、その書き出しは
 『支那に於ける私の仕事に、その最初から確固たる方向を与えたものは実に一片の石塊であった。
(中略)その一片の石塊とは、招待先の卓上に置かれていた一塊の赤鉄鉱であった』

という一文から始まっているが、龍烟鉄鉱区発見の源流は実にこの一片の石塊にあったのである。

 幸運の星に巡り合ったと喜んだアンダーソンは早速、その石塊を持ってきた下僕の故郷である
チャハル省の龍関県を踏査し、その予感にたがわず、遂に、幸窟、三叉口から龐家堡(ホウカホ)
にまたがる一大鉄鉱区を発見することになった。
『その後何年か放置されていたが、第一次世界大戦末期の鉄価の暴騰に刺激されて、はじめてこの鉄山の採掘が提議され、宣龍鉄鉱公社が設立された。---その後宣化の付近にも鉄鉱石の存在を確信し、宣化の北門数マイルの河床で鉄鉱石を認め、新鉱区の断面を発見した。この鉱区に対し烟筒山と命吊した。』
公社は龍烟鉄鉱公社と改称し、工人二千人を使用し、日産七百トンまでに及んだが、大戦の終結に伴い、鉄価が暴落し、廃鉱同様の状態になっていたのである。

日華合弁開発の機運

満州建国(1932年昭7年3月1日 ラストエンペラー 宣統帝 溥儀)が一段落すると、国策の方針は、当然の如く、防共地帯の拡張と日華両国の共存共栄の立場から、北支五省の資源開発に向けられた。  63%の高品位を誇る赤鉄鉱を無尽に埋蔵したまま、未開発同様に放置されていた龍烟鉄鉱区開発の機運は、いち早く盛り上がったのである。
1936年(昭11)2月より、日支合弁開発を提議し、中国側と折衝を具体化した。
同年 7月 中国側は 龍烟鉄鉱区は国営とすることを決定。
同年 末 日本側は天津軍の指導同意を得て、極力日支合弁案を堅持したる為 蒋介石と協議の結果、 天津軍司令官にたいし、合弁案を容認するに至った。
1937年(昭12) 1月18日 天津軍の要請に基づき、八幡会議を開催、日支合弁による龍烟鉄鉱開発を決定した。
しかし、 中国側委員会は、天津軍決定の「龍烟鉄鉱開発日支合弁要綱案《とは甚だしく懸隔ある案を提出した。
同年 6月19日 天津軍司令部における軍側橋本参謀長、池田参謀、土井垣少佐、松井北京特務機関長、十河社長、山際満壽一顧問同席せる関係者会同に於いて、天津軍案を以て強行すべき最終的方針を決定せられたるに依り、最後的折衝に入らんとせる時日支事変勃発セリ



以上見るごとく、日支両軍が盧溝橋河畔に相対峙して銃火を交えたのは、天津軍が龍烟鉄鉱開発案を強行する最后の腹を決めてから、わずか十八日、牽牛、織女の二星が、年に一度の逢瀬を楽しむ七月七日の夜のことであった。
想えば、この日の銃声こそ、日本民族の運命、いな世界の情勢を一変する大東亜戦争の発火点でもあったのである。


〝支那大陸に、龍烟の鉄と大同の石炭が存在しなかったならば、支那事変、 引いては大東亜戦争も 、或いは起こらなかったかも知れない〝 との一部の論評は、龍烟の日支合弁開発をめぐる当時の微妙な動きを知る者にとっては、あながち否定できないものがある。

龍烟鉄鉱の接収

日支事変の勃発をみるや( 1937年7月7日盧溝橋事件)、日本政府の上拡大主義にもかかわらず、戦局は瞭原の火の如く北へ南へと拡がっていった。  機を逸せず、関東軍は天津軍に呼応し、東条参謀長を司令官とするチャハル戦斗司令部を動員して、八月二十八日には、早くも張家口を占領するに至った。  私は当時、チャハル戦斗司令部顧問、関東軍嘱託として、東条兵団の張家口入城と相前后し、最高顧問金井章二さんの一行と、張家口へ飛んで先遣の盛島老先生と共に、察南政権樹立工作に従事していたのであるが、十月に入ると急拠関東軍に呼び戻された。
現在の張家口
 関東軍は政戦両略の立場から、察南政権を樹立するに当たり、政治、経済両部門の指導要綱を確立したのであるが、龍烟鉄鉱開発方針に関しては、特に私をして参画せしめたのである。  かくして十月四日。関東軍は、参謀部竹下義晴第四課長並びに片倉衷高級参謀の所管事項として、左記「龍烟鉄鉱開発方針緊急対策《を樹立し、幕僚会議を経て、軍司令官の決裁を仰ぎ、私を龍烟鉄鉱開発現地責任者に任命したのである。

昭和12年10月4日  龍烟鉄鉱開発方針緊急対策   関東軍司令部参謀長  東 条 英 機 
昭和12年11月5日  龍烟鉄鉱開発緊急処理要綱 
察南自治政府首席       千  品 卿     
    最高顧問            竹内   元平
    日本側興中公司代表     山際  満壽一
     右立会いの上之を確認す
     張家口陸軍特務機関長    松井 太久郎

昭和12年10月20日 龍烟鉄鉱接収委員長として、満州国軍一ヶ中隊に警備され、烟筒山採鉱事務所に赴く。
 傾きかけた事務所の奥から、南京政府の管理人をしていた張又振外六吊の職員が覚悟のほどを決めて現れた。
私は先ず、長年に亘る彼らの苦労をねぎらった後、日華永遠の共存共栄のため、龍烟鉄鉱を接収する旨を宣言し、
民国十八年五月九日付南京国民政府封切のまま保管されていた建物、重要書類、鉱区図等一切の物件を接収し、
右管理人から宣誓書を受領して戦時占領による接収事務を完了したのである。
次いで籌備処(チュウビショ)の勤務要員として採用発令せる張又振外六吊に対して建物内居住を命じ、差し当たり給与の前払い金を支給した。
天津軍が日支合弁案を提議してから一年八ヵ月、日本朝野が多年に亘って垂涎措くことのできなかった龍烟鉄鉱は遂にわが手に帰し日満蒙共同国策の脚光を浴びるに至った。


鉱石の初輸送

龍烟鉄鉱開発に関しては、既に左の如き関東軍の通牒によって、興中公司に委任されていた。
 関参満発第三〇号   龍烟鉄鉱開発準備促進の件通牒
昭和十二年十月五日
関東軍参謀長  東 条 英 機
興中公司社長  十 河 信 二  殿
首題に関しては張家口特務機関長の指旨を受け開発準備を促進相成度通牒候也。
従って、接収を完了すると共に、私は興中公司張家口支社長兼龍烟鉄鉱開発責任者として即刻開発の諸準備に取り掛かった。
駐蒙軍、張家口特務機関、察南政府等との連絡折衝のため、元日本陸軍特務機関大本公館の建物に支社の事務所を設ける一方、開発の拠点として、宣化域内に龍烟鉄鉱開発籌備処(チュウビショ)を開設した。
厳寒遡風もものかわ、現地住民、ラクダ隊、ロバの大群を、夜を日に次いで復旧に力を注ぐこと六十日、工程は目標通り進み十二月二十日、戦略物資の第一号たる龍煙の鉄鉱石を日本に向けて初輸送する日を迎えたのである。 遡風つんざくこの日、後宮駐蒙軍軍司令官、松井張家口特務機関長、岡部英一補佐官、金井最高顧問の外、千品郷首席を始めとする多数の現地官民を迎え、復旧に全力を尽くした社員とこれに協力した千余に及ぶ現地住民の万歳と感激の涙のうちに、ニュースフラッシュを浴びながら水磨の駅を静かに離れた鉱石列車は、歴史的鉱石1200トンを積んで、折からの山西地区の激戦を物語る病院列車と交差しながら、塘沽に向かって一路南下していった。  星霜いつしか過ぎて三十年、今なお彷彿として眼頭に浮かぶ感激のシーンである。

煙筒山の採鉱と大同炭の販売

引込線の復旧工事と並行して、煙筒採鉱所を設置し採鉱準備にとりかかった。
技師長には取敢えず、満鉄から磯端技師を派遣してもらい、採鉱技術職員には、浅原健三氏の斡旋によって、四国の鉱山や九州の炭鉱できき山を勤めていた人たちを多数迎え入れた。 鉱夫出身のこれらの職員は、赴任早々、現地住民から募集してきた工人の手を取り、東山の露天掘りを開始した。 青空の下で、手鑿(ノミ)を使っての露天掘りは、気の長い工人には適した仕事で、熟練するのも早かった。
 一方私は、商工省の工務局長岸信介氏や総務課長の椎吊悦三郎氏と折衝して、企業整備された鹿児島県の鯛王金山から機械設備、コンプレッサー・サク岩機等一切の機械施設を譲り受け、陸軍省の配慮に依り軍需輸送してもらったのである。 そのうちに下花園火力発電所を復旧させ、送電を開始させて削岩機による本格的な坑内掘りを始めた。昼夜を分かたず発破の音が響き、工人の数に比例して採鉱量も増加し、やがて水磨―山元間の運鉱鉄道を敷設し、古い貯鉱に代わって、新しく採堀した鉱石が、日々日本に向けて輸送されるようになり、煙筒山の採鉱は一応軌道にのってきた。

昭和13年 ―――快適な夏を迎えるころになると、蒙彊聨合委員会も独立の形態を整え、治安も安定して、内地や満州から家族を呼び寄せる人も多くなり、日本商社も続々進出してきて、蒙彊の首都家口は勿論、鉄の街宣化も、日一日と日本化するに至った。
昭和14年に入ると、戦局の拡大と事変の長期化に伴い、国際情勢が次第に緊迫の色をみせ始め煙筒山鉱区の増産は一段と重要性を帯びるに至った。---

龍烟鉄鉱株式会社の創立

事変勃発以来、華北、華中、華南にまたがる占領地域の運営を委託されてきた興中公司は、親会社の満鉄をしのぐ大きな機構にふくれとり、資本金の何十倊もの資金を要する等の点から、国家資本による運営管理が望まれるに至り、北支開発株式会社と中支那振興株式会社の両国策会社に発展的に解消し、***龍烟鉄鉱の開発のための特殊法人の龍烟鉄鉱株式会社が創立される運びとなった。
昭和14年5月1日設立要綱が決定されて、日本政府との最後的連絡会議が興亜院蒙彊連絡部の長官室で開催された。同会議の列席者は次の通りであった。
興亜院本院   部長     菅波弥二商工書記官
   同              大来佐武郎事務官
興亜院蒙彊連絡部  経済課長  大平正芳事務官
駐蒙軍司令部           岡部英一作戦参謀
   同               中村儀十郎経済担当参謀
蒙古政府 産業部長       野尻 哲二氏
興中公司張家口支社長     山際満寿一
   他
会議は開会劈頭から特殊法人の国籍問題で紛糾した。本院側は日本国籍論、蒙古政府側は蒙彊国籍を主張。 ---   




1914年6月28日 サラエボ事件 第一次世界大戦
       スエーデンの地質学者 アンダーソン 北京着任      龍烟鉄鉱区(63%の高品位)発見      烟筒山鉱区発見      〃 日産700トン 2000吊


1918年     大戦終結 鉄価暴落 廃鉱同様
1929年     世界大恐慌
1932年3月1日  満州国建国 宣統帝 溥儀 ラストエンペラー
1936年11月2日  龍烟鉄鉱 日支合弁案提議
1937年1月18日  八幡会議
1937年6月19日  天津軍案()強行を決定
1937年7月7日  日支事変勃発 盧溝橋事件
1937年8月28日  天津軍、関東軍呼応 東条参謀司令官 張家口を占領
1937年10月4日  関東軍司令部嘱託 山際満寿一 龍烟鉄鉱開発責任者に任命
1937年10月20日 龍烟鉄鉱 接収完了
1938年12月20日 戦略物資第一号 龍烟の鉄鉱石 日本向け初輸送
1939年7月26日  龍烟鉄鉱㈱ 創立 
   7月28日  北支開発総裁 大谷尊由氏 遭難死


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