〜中南米ふしぎシリーズC〜

■モライの円形階段畑■

3つあるうちで最大の階段畑。宇宙船の基地だったのだろうか・・・?


不思議な円形畑を知るきっかけ

標高3326メートル、ペルーのアンデス山中にたたずむ街クスコには、かつてインカ帝国の首都が置かれていた。スペイン時代の建築が建ち並ぶかたわら、インカの重厚な石組みをあちこちで見かけるこの街に来れば、かのマチュピチュ遺跡まではあと一息である。

ペルー第一の観光地、そして私にとってアメリカ大陸第一の目的地であったマチュピチュ。クスコからマチュピチュまでの間にはまるでおいしいおまけのように、インカの聖なる谷とも呼ばれるウルバンバの渓谷が広がり、見るべき遺跡や村が点在している。

私も当然それらの村や遺跡に立ち寄りながらマチュピチュを目指すつもりだったが、出発前にさらなる情報が入ってきた。

それはマラスの村から7kmの場所にあるというモライの階段畑についてだった。クスコ出発前日に購入したCD-ROM「マチュピチュ インカの聖なる道」日本語版に入っていた写真を見て、説明を読む前から心が引かれた。緑の渦巻きのような段々畑が中心部に向かうにつれて低くなっている様は、まるで宇宙人が作ったものであるかのような不思議な様相を呈していたからだ。

クスコからモライを目指す

クスコからウルバンバ行きバスに乗り1時間10分たった頃、おかしいなと気付いた。途中で寄ろうと思っていた村チンチェーロを、どうやら乗り過ごしてしまったようなのだ。そこへちょうどマラスの塩田らしき絵が描かれた看板が目に入ったので、慌ててバスを下りる。えい、もうチンチェーロはあきらめだ。

そこはマラスへの分岐で、乗り合いタクシーで4km行った先に素朴な村・マラスがあった。声をかけてきたタクシーにモライへ行きたいと告げるが、この村の運転手にしては素朴でもなんでもなかった。25ソルとか30ソルとかの、異様に高い料金を言ってくるのにあきれ返り、一瞬行くのをやめようかとさえ思ったが、思いなおして別のタクシーに往復20ソルで行ってもらうことにした。約650円。マラスからモライまでの距離は「マチュピチュ インカの聖なる道」には7kmとあったが、村にある標識には9kmと書かれていた。どちらにせよこの距離にしてはべらぼうに高い。1人だったらきっと行かなかったことだろう。また徒歩でも行けるようなので、時間があればゆっくり歩くのもいいだろう。

チャーターしたタクシーはのどかな田舎道をがたごとと進んでいく。到着して5ソルのチケットを買い、車から下りるが何も見えない。周囲にはただ畑と山の景色が続くばかりだ。

しかし言われた方角へ歩いて行くと、目を見張るような光景が足元に広がっていた。何重にも輪を描いた巨大な段々畑が、はるか下方まで続いている。上のほうに視線をずらすと、円形でない普通の段々畑も斜面に刻まれているのが見える。その整然とした無駄のない光景は、宇宙船の発着所か何かを思わせるような不思議さとダイナミックさを漂わせている。

近づいてやっと見えてきた巨大な階段畑

「40分以内に戻って来ないと、もっと値上げするからな」
強欲なタクシーの運転手が言う。ここをタクシーで訪れる場合は、最初に滞在時間も含めて料金交渉すべきだった。3つある階段畑を見るのは40分ではぎりぎりで、結局大急ぎで見るはめになったからだ。せめて1時間あればもうちょっとゆっくりできたのに。しかしもう後の祭り。

階段畑を下りてみる

まずは一番小さな階段畑へ。背後に雪山が控えた風光明媚な位置にある。次に真ん中にある中ぐらいのを上から眺めた後、いよいよ最初に俯瞰した最大の階段畑の底まで下りていく。この階段畑は直径、高低差ともに約150mもあるそうだ。

この穴を全部人が掘ったのだろうか。それとも自然の地形を利用したものなのだろうか。とにかくいくら地形を利用しようと、こうしたきれいな形に整えるには非常な労力が要ったはずだ。近くに街もないこんな田舎で、よくこのような大規模なものを作ったものだ。またこの階段畑の中にも外にも、神殿のような建物は存在しない。

段差はかなり高く、それぞれ1.5メートルはあるだろう。各所に小さな石の階段が取り付けられているのは、頻繁に下りる必要があったということだ。

階段に階段がくっついている

穴の底ではペルー人の家族連れがいて憩っていた。中心部には少しくぼんだ場所があり、ここに立てばエネルギーが満ちるんだ、と教えてくれた。本当かなあ?ピラミッド・パワーのようなものだろうか。

周囲はのどかで静かで、暖かい太陽の光に満ちていた。ペルー人がしているように私もこの穴の底で寝転がって空でも眺めたかったが、時間が迫っていたのであわてて斜面を登った。

有力な「農業の実験場」説

普通の段々畑なら、クスコ周辺の至るところで見ることができる。段々畑を表すスペイン語「アンデネス」が、「アンデス」地方の名のもとになったほど当たり前のものなのだ。しかしこうした特殊な形のものは、ここだけにしかないらしい。なぜクスコからこんなに遠く気候条件も厳しい山の中に、建設が大変な円形の階段畑を造ったのだろうか?

その珍しい形のため、この階段畑は農業用ではないと唱える人もいた。宗教儀式の場だという考えもある。しかし農業説を裏付ける水路の跡が残っているので、畑として使われたのはほぼ確実のようだ。

水路の跡とはこれのことか

クスコ地方の建造物の中でも特に風変わりなこの階段畑の役割については諸説あるそうだが、現在最も有力かつ興味深いのは、ここが農業の実験場であったとする説だ。

実験場であったとしても、どのようにそれを使ったのか、これにも2つほどの説がある。

まず下に行くほど気候が穏やかで温度が高くなっている階段畑を利用し、品種改良をしたという説。

「トウモロコシのように寒冷な気候を嫌う作物を一番下の畑で育てて種を収穫し、一段高い畑に植えてまた収穫すれば、前よりも寒さに強い遺伝子を持ったトウモロコシができるだろう。このプロセスを繰り返せば上の畑の寒冷な気候に適応した作物が生まれるというわけだ。つまり、寒さを嫌った作物が寒冷な気候に耐える遺伝子を持った作物に改良されるのだ。もし、寒いところの作物をインカの聖なる谷のような温暖な気候に適応させたいのなら、この逆のプロセスを行なえばいい。」(「マチュピチュ インカの聖なる道」より)

もうひとつは、ある作物を階段畑のさまざまな場所に植え、どの気温帯で最もよく育つのかを実験・観察し、研究結果を利用して各地で収穫をあげた、というもの。

なるほど、どちらも本当ならば、この階段畑を考え出した人々の知恵には計り知れないものがあると言えそうだ。はじめこれらの説を読んだ時、私は驚いてすっかり興奮してしまったものだった。昔の人(恐らくインカの人々)に、そこまでの技術があったとは!

これは中ぐらいのもの。ところどころに積まれた石の山は一体なんだろう?

・・ところがあら捜しをするような気分でもう一度考えてみると、いろいろと腑に落ちない点が出てくる。

まず第一の説に対しては、これぐらいのことで果たして品種改良ができるものなのかが気になってくる。だが農業に関する知識は皆無なのでどうしようもない。寒い場所が必要ならただ、より標高の高い場所に行けばいいのではないかとも思う。

そして両方の説に言えることは、広大な土地にまたがり、場所による標高の変化が激しいアンデス山地に対応できるような結果が、この円形畑で本当に得られたのだろうかということだ。畑の最低部から最高部までの距離は30メートル程度なので、温度差もあまり大きくはないと思われる。その程度で実験として成立するほどの違いが表れたのか、はなはだ疑問に感じるではないか。ましてや他の2つの階段畑はより小さく浅いので、こうした実験には適さないことは明らかだ。

それでは一体この円形階段畑は何なのか。そう聞かれても言葉に詰まってしまうのだが、もしかしたら特別な作物を作るための神聖な畑であったのかもしれないな、などと思う。

(旅行時期 2004年4月)

参考文献:「マチュピチュ インカの聖なる道」macrostudio

 

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