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| ブラジル旅の一大イベント、船でのアマゾン川航行 |
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■ベレンからマナウスへ■ 永遠に続くかと思える茶色い流れがヘビのようにその身をうねらせ、広大な密林を縫って続いている。遠くアンデス山脈に端を発し、延々6500kmもの旅をして南米大陸を横断の末、大西洋に流れ込むアマゾン川。ナイル川に続いて世界第2位の長さ、流域面積では世界1位を誇る大河である。 南米3大見どころを挙げるとすると、どこにするかは人によって意見が分かれるところだろうが、私にとっては常にアマゾンがそのうちに入っていた気がする。つまり、マチュピチュ、イグアスの滝、アマゾンである。それほど南米では存在感が大きく、できれば訪れたい場所だった。 実を言うと私は、もともとアマゾン川に行く予定はなかった。ボリビアのルレナバケからアマゾンのツアーに参加していたが、これはアマゾン盆地にあるアマゾンの川の支流を訪れるもの。つまり「アマゾン川を見た」というのとは気分的にちょっと違うのだ。 そこで多くの旅人が利用するメジャーなルート、ベレン-マナウスの船のチケットを購入。ベレンからマナウスへ向かうにはアマゾン川をさかのぼることになるので、逆ルートよりも1日2日余計に時間がかかる。聞くところによると6泊7日だそうだが、その間の食事は初日以外含まれている。これでハンモッククラス5200円は結構お得だ。 ちなみにタイトルでは1500kmとしてあるが、ネットで調べるとベレン-マナウス間は人により言うことが違い、1400kmから1700kmまでとさまざまだ。ガイドブックによると河口からベレンまでは120km、河口からマナウスまでは1500kmとしてあるので、引き算をすれば1380kmという数字がはじき出されてくる。しかしたくさんあるどの河口から数えているのかも分からないため、これもまた正確だという確証はない。 ■騙された私■ 炎天下重たい荷物をかついで、ヒイコラ言いながら港にたどり着いた。桟橋で私を待つのはその巨大な白亜の船体をアマゾンの風になぶらせた、堂々たるコロネル・ジョゼ・ジュリオ号。これから長期間過ごすにふさわしい、美しく素晴らしい船である・・・・・はずが。 「何これー!何でこんなに小さいの?!・・騙されたー!!」
アマゾンを行く船には旅人間でいくつか知られた会社があるのだが、コロネル・ジョゼ・ジュリオというのは聞いたこともない。だからちょっと不安でもあったのだが、見事にそれが的中した。小さい船の何が悪いのかは自分でも定かでないのだが、「揺れるし食べ物もまずいから、大きい船の方がいい」と旅人が言うのを何度か聞いたため、大きくなくちゃいけないと思い込んでいた。あーあこんなに小さいなんて・・・! ぶつぶつ文句を言いながら船に乗り込むと、なぜか弁当売りのおばちゃんが私のハンモックを吊るしてくれる。ハンモックはただ棒に縛り付けるだけで、特別な結び方などはなさそうだ。船は2層しかなく、ハンモックを吊る2階と倉庫のような1階から成るのみ。普段船に乗り込むとすみずみまで探検する私だが、この小ささに動きまわる気もなくして呆然としていた。 船の2階にはトイレ兼シャワーが男女各2つづつ、1階に3つづつある。水道は8カ所、さらに飲み水のタンクがつけられた冷水機もある。ものを書くテーブルが欲しいところだが、それは小さいのが3つ、2階の船のおしりにくっついていた。どうやらここはバーらしい。 バーのテーブルに向かってぼんやりしていると、船に入ってきた物売りのおじさんが近くの席に座り、売り物をつめた小さな箱の中身を整理し始めた。もう夕方で、淡いピンクの川と空を背景におじさんの影がシルエットになって浮かび上がっている。遠く、小さい船がこちらに進んでくるのが見える。こういうアマゾン川の夕焼けを、私はこれから毎日見ることになるのだなあ。もの売りのおじさんの動作は静かで、穏やかかつ孤独な人柄がにじみ出ているかのようだ。客に話しかけるでもなく黙々と箱の整理をしている。どこか悲しさと懐かしさを同時に感じさせる光景だった。
■いざ、出航■ 夜7時をすこし過ぎて船が出発。その頃には後から来た客によって、ハンモックはかなり密集して張られていた。寝るとききゅうくつそうでちょっと心配になる。いよいよ船が走り出すと涼しい風が吹きつけて爽快だ。心配していた揺れについては全くなく、これは最後まで変わず全く問題なかった。 気になっていたのがシャワーと飲み水。実はベレンでマナウスから下ってきたという旅行者に会ったのだが、船内のシャワーや手を洗う水はもろにアマゾン川の水で茶色かったと言うのだ。船のトイレは垂れ流しだと言うから、そんな水でシャワーなんかとてもじゃないけど浴びられない。実際その旅行者は4日の間1度もシャワーを浴びなかったそうだ。しかし私はすでに今日から汗だくになってしまったし、初日は我慢して汗臭いまま寝たものの、翌日我慢できなくなりシャワー室へ向かった。 当たってしまったといえば、ベレンで滞在していた宿には計2人も病人がいた。どちらも船を下りる日に体調がおかしくなり、片方は病院に行って注射や点滴を受けた末やっとよくなってきたところで、もう片方は明日病院に行くと言っていた。こんなに短期間に2人も調子が悪くなるなんて、船に何か問題があるに違いない。水が悪いのだろうと聞いたので、私は4リットルほどミネラルウォーターを買って持っていくことにした。 茶色い、あまり広くないアマゾン川を船は進んでいく。両脇には緑の木々が生い茂り、ときどき高床式の木の家が水上にたたずんでいるのが見える。そこから小さい丸木舟を漕いで、物乞いの子どもや大人がこちらに必死で向かってくる。でも船の速さには追いつけず、遠くで呆然とこちらを見守っていたりする。たとえ近くに来たとしても彼らは手を差し出すわけでもなく、楽しそうに波乗りする子どももいた。もっとすれた人々を想像していたのに、しつこい物売り物乞い攻撃には全然遭わなかった。
昼の景色もさわやかで心地よいものだったが、さらによいのは夕暮れ時だった。 川をさかのぼるにつれて空の雲が少なくなり、星がよく眺められるようになった。天の川がその白く煙ったような星の集合体を、余すところなく夜空に掲げて見せてくれる。その圧倒的な美しさに感動し、私は毎晩へさきのところに立ってじっと空を見上げていた。ときには阿呆のようにぽかんと口をあけて。 船の食事について書こう。朝は甘いコーヒーとクラッカーのみ、しかし昼食と夕食は大体肉やチキンのほか米とパスタ、そしてマメのスープ、加えてサラダというメニューだった。大きなバットに盛られたそれらの食べ物を、好きなだけ皿にとって好きな場所へ持って行って食べる。気分的にはアマゾンの魚なんか出してほしいところだけれど、これはこれでなかなか味付けもいいので不満はなかった。
■船を変える■ チケットを買う時点で何も言われなかったのだが、私の船はマナウスまで行かないので途中で乗り換えなくてはいけないとのことだった。まあそれもいいかもしれない。2種類の船に乗れば比較もできるし、もっと大きな船に当たるかもしれない。 そう期待していたのだが4日目にサンタレンで乗り換えたアナ・マリア5号は、船こそ比較的大きいものの相当混んでいた。人が多い割にはトイレやシャワーの数も少なく、しかも居心地よい場所がなかなか見つからず、ハンモックに寝れば隣の人とぶつかり、また晩御飯がスープだけでがっかりしたことも2度ほどあった。大きければいいってものじゃないんだな。再び周囲は知らない人ばかりになり、最初の船にいたフレンドリーな人々や居心地のよさがつくづく懐かしく思われたものだった。 ところで最初の船に私の父ぐらいの歳の日本人のおじさんがいた。その人はサンタレンで下りて1泊したのだが、下船時にバッグが切られて中に入れてあったデジタルカメラが盗まれているのに気が付いた。きっとおじさんがカメラを入れるのを見ていて、乗客の誰かがやったに違いない。おじさんは南米の旅は相当慣れている感じだったが、カメラを入れたバッグは柱にくくりつけておいたのだそうだ。やはりアマゾン船ではカメラなど人目につく貴重品は、しじゅう手元から放さない方がいいものと思われる。 せっかく居心地よく快適な船だったのにこんなことを聞くのはとても残念だった。貧富の差が激しいブラジルでは犯罪も日常茶飯事なのだが、おじさんのせっかくの楽しい旅の思い出を台無しにされたようで人事ながら胸が痛んだ。 ■船のなかの愉快な面々■ アマゾンの船は観光客が多いだろうと想像していたが、実際は現地人などのブラジル人が圧倒的多数を占めた。乗船すると早速興味しんしんの彼らが次々と話しかけてきたりして、これは楽しそうだぞと思った。実際アマゾンの船に乗る醍醐味は、まさに現地人との交流にあるのだと実感する。これまで他の場所で出会ったブラジル人は親切な人もそうでない人もたくさんいたが、とにかく突っ込んで会話をしようとしてくれる人はあまりいなかったから。長時間一緒にいることになる船という環境がそうさせるのだろうか。 最初の船にはリオ・デ・ジャネイロで旅行会社&フォトスタジオを経営する2人の男性がいて、英語を話した。うち1人が格好よくかなり目の保養になってしまった。彼らはアフリカやアジア、国内を含めた南米各国など世界のあちこちに添乗員として出かけ、もしくはプランを練ったりするそうだ。巨大なデジタル一眼レフを持ち歩く姿は、他のブラジル人たちとは明らかに異なりファッションも格段に洗練されていた。しかも彼らはキャビンに泊まっていたのだから、やっぱりどこか他の人々と違うはずである。旅行してお金が稼げるなんて、いい仕事だなあ。つい「私もやとってくれませんか?」と言いたくなり、ついでに「奥さんいますか?」とも聞きたかったが、どちらももちろん口にはださなかった。彼らの写真を撮りそびれてしまったのが残念だ。 他の人はポルトガル語しかしゃべらないので、分からない私とは大した会話はできない。でも鼻の下にちょびひげをはやした陽気な若者はジェスチャーで会話をしてくれるので大いに助かった。しかも非常に演技派だ。別の若者をからかって、頭にツノのように指を立てる。すると若者はあわてて「違う、違う」というふうに反論する。この鬼のまねのようなことを繰り返すので、私はてっきり奥さんが怒るしぐさをまねているのかと思っていた。
頭がちょっとはげてメガネをかけた、耳が聞こえないというおじさんもよく私を構ってくれた。下船する前夜にこのおじさんは障害者のカードのようなものを取り出し、みんなから寄付を集め始めた。このカードがあると乗船運賃は無料らしいが、その上さらにお金を集めようとするなんて。もしかしてずーっとこれやってるのかもしれない? そのほか私の顔を見るたびに「結婚しよう」と言い出す船のコックのおじさん、川の物乞いに5ヘアル(200円)札を投げているメガネ屋のおじさん、私がカタカナで書いてあげた名前を大事そうにポケットにしまう若者達など、最初の船にはさまざまな人がいて楽しかった。2度目の船は人も多く私も疲れてきてあまり人と話さなかったが、こちらには子どもやおばさんが多かった。あどけなくかわいい子どもがちょこまか動き回るのは、見ていていつまでも飽きないものだった。 強烈だったのは私の背後にハンモックを吊っていたおばちゃん。毎朝まだ明るくなりかけた頃、いきなり大声で歌を歌い出すのだ。そのダミ声に男性かと思って見ると、まぎれもないそのおばちゃんだった。ああこの人ならやりかねないと納得がいく。
最後に仲良くなったのが近くのハンモックにいたかわいい女の子スノミータ。若い子はとかく早口なので最初気乗りがしなかったが、この子は私にもなんとなく分かるようにしゃべってくれ一応会話が成り立った。彼女のまわりを小さい男の子がうろうろしていたので、きっと顔が似ている彼女はお母さんに違いないと思ったのだが、聞くとなんと若干14歳。南米の子は早熟なんだなあと知らされた。このサムエル君3歳はどうやら甥らしい。 こうしてゆっくりと船上の日々は過ぎていった。パソコンさえあれば容易につぶれていく私の日々も、本と日記帳とおしゃべりだけでもたすには6日はちょっと長かった。しかも最後の方では先にもあげた強烈なおばちゃんに追い回され、何を言っているのか分からない言葉に苦しめられたり、また船の居心地があまりよくないこともあって多少とも疲れを感じた。 船内で使用した黄緑色のハンモックを記念に持ち帰り、いつか日本で使うのを楽しみにしている。きっとそのとき、アマゾン川を船で行き来した日々と出会った人々が思い出されることだろう。あのやわらかな乳色のアマゾン川と夜空の星が、昨日のことのようにまぶたに浮かんでくるだろう。ただしオバチャンの悪夢にだけは悩まされなれないといいけれど。 (旅行時期 2004年10月)
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