■ゴースト・タウン・グラナダ■

グラナダのコロニアルな街並み



ニカラグア製の幽霊に会いたい

中世のおもかげを色濃く残すニカラグアの古都・グラナダは、’出る’としても知られているらしい。

それについて知ったのは、宿にあった英語の無料冊子からだった。「Ghostly Apparitions in Granada(グラナダの幽霊の出現)」と題された記事を見て、これは面白そうだぞと好奇心が動いた。どうせ街並み程度ぐらいしか見るもののないグラナダ。ここに掲載されている幽霊屋敷を巡れば、グラナダの旅をより面白くできるのではないだろうか。

いくつか幽霊出没スポットを訪れるには、まずは詳細なグラナダの地図が欲しい。記事には地図の掲載がなく、通り名が記載されているだけだからだ。ところが私のガイドブックの地図は小さくあまりにも不完全だった。宿に貼ってある地図にも、おもな通りの名前しか書いていない。さらには観光案内所にも、それ以上詳しい地図はないとのことだ。

旅行代理店に聞いてみなさいと言われたが、面倒くさくなった私は結局幽霊屋敷巡りを断念してしまった。そこまでしてやらなくてもいいや。

宿泊していたオスペダヘ・セントラル。カラフルなペインティングがおしゃれで、フリーコーヒーが嬉しい

こうして私は特別の体験もせずグラナダを通り過ぎてしまったが、もしかしたら幽霊好きにはたまらないニュースかもしれない。話としてもなかなか面白いと思い、この場を借りて記事を紹介することにした。

私の英語は相当不完全だし、資料もないのでかなりぎごちない文章であることと思う。どうしても訳せなかった言葉は、そのまま表示してあるのもあるがご容赦いただきたい。著作権のことはよく知らないが、念のためあえて自分なりの言葉を加えて「紹介」という形にした。

ゴースト・ハンター?のジェームス・スペンサー氏が、幽霊探知犬とともにめぐるグラナダのゴースト・ハウス。数々の幽霊屋敷で、彼らはいったいどんな体験をするのか?

これを読まれ、これからグラナダへ行くというあなた。ぜひとも幽霊屋敷を突きとめて訪れ、ホンモノのニカラグア製幽霊との出会いを果たしてほしい。万が一「恐くて行きたくなくなっちゃった」なんていう方がいたらどうもすみません(いないと思うけど)。


大量殺人現場に出る老婆の霊

グラナダで、奇妙な事件が多く起きてきたというのも無理はない。1979年、サンディニスタ革命が進行していた頃、数千人の国家衛兵がプエルト・アセセ近くのこの地方に集められ、殺された。遺体は葬儀をされないまま、目印のない墓に放り込まれたという。

ディアマンテ通りDiamanteの入り口から数キロは生れた場所に「パナマ」と呼ばれる墓地があり、とある丸い石が置いてある。地元民は、この丸石の上に座った老婆の幽霊が、通りがかりの人に「私を共同墓地に連れて行って」と懇願する様を見ると言う。当時のこの墓地を知る人は、この場所はソモサ一族(地震により集まった援助金を着服した。後にアメリカに亡命)の支持者やその妻子の殺害現場だったと言う。

暗く曲がりくねったディアマンテ通りを、夜間に歩く際は要注意。


金貸しケキスケの幽霊と幽霊探知犬

ハルテバ教会Igresia Xaltevaの1ブロック南にハルテバ公園Parque Xaltevaがあり、とある美しく修復された植民地風の家がある。以前エンリケ・ウルビナなる人物が住んでおり、彼は地元で「ケキスケ」呼ばれていた。

今写真を見たら、なんと私はこの公園の横を通り、写真を撮っていたことが分かった。でも家は見なかったなあ・・・

彼は金を貸して厳しい取立てをし、同時に車の部品を扱う仕事をしていた。約2年前に彼は地元のやくざの襲撃によって、首を切られて死んだ。以来その家は空き家のままなのだが、近所の人は子どもが泣く声や、ものが地面を引きずられる音が聞こえると言う。

2001年、あるカナダ人の家族がこの家を買ったが、すぐに使用人が、異常な物音が聞こえると言い始めた。エルダー・ファリーニャという画家はケキスケの幽霊が、最近改装されたばかりの洗面所に入っていくのを見たと主張する。なんと彼の記憶は、近所の人々の言う晩年のエンリケ・ウルビナの特徴とぴったり一致したのだそうだ。

私(ジェームス・スペンサー)は家の改装を監督する契約をしたのだが、奇妙なことに私のシュナウザー犬スペンサーが、この家の西翼に入りたがらないのだった。私達は困ってしまったが、これでこの家に幽霊が出るという話が実証されたわけだ。スペンサーは「幽霊探知犬」なのである。彼は尻尾を垂れて敷居の前に立ち尽くし、何度呼んでも決して家の中に入ろうとしなかった。

ということは、これがハルテバ教会だったのかな?


恐ろしげな病院。でも・・

グラナダで最も気味の悪い建物は、疑いもなく古いカトリックの病院だろう。しかしおかしなことに、ガードマンや地元の人々は、この場所に幽霊は出ないと言う。この建物は古びているだけで、幽霊は全くいないそうなのだ。幽霊の街、グラナダにしては奇跡に近い話である。

オテル・セビジェの大統領

リベルタード通りCalle Libertad沿いには、もうすぐオープンするホテル、オテル・セビジェHotel Sevilleがある。ある暗い嵐の晩、オーナーのラファエル・エストラーダ氏と私は一緒にホテルの敷地内を歩いていた。

ふと彼は古い骨が発見された場所を指差し、夜奇妙な音が聞こえるのだと言った。この家はニカラグアで最初に民主主義的に選出された大統領、ホセ・マリア・エストラーダの家だった。エストラーダはたったの1年半後に暗殺されたが、彼の遺体は発見されていない。オテル・セビジェの奇妙な物音と出来事は、ニカラグアの間違った政治に警鐘を鳴らしているのだろうか?

この家の以前の居住者たちは、うずくまった老婆と黒い帽子をかぶった男性の幽霊に追い出されたそうだ。

エストラーダは彼の警備員さえもが、招かれざる夜の訪問者におびえて仕事を辞めそうだとこぼしていた。

殺人屋敷エル・パレンケ

グラナダ最古の幽霊が出る家はエル・パレンケEl Palenqueで、コンスラード通りCalle Consuladoとパレンケ通りCalle Palenqueの交差点に位置している。

私がこの家を訪れ尋ねたのは、もう夕方遅くなってからだった。家主は用心深くドアの上部分だけを開け、おまえは誰だと聞いた。私はグラナダの幽霊屋敷を取材しているジャーナリストだと説明し、この家は実際地元民がうわさするように幽霊が出るのかと聞いた。

ガードマンである彼、カルロスのうちで私が見ることが出来たのは、ただ目だけだった。一瞬の沈黙の後、彼は言った。「そうだ、この家は確かに幽霊が出る」
ちょうどその時である。なんとグラナダの全ての電気が消えうせ、真っ暗闇になったのだ。これは誓って本当だ。

翌日私は「幽霊探査犬」のスペンサーと一緒に、エル・パレンケを再訪した。犬を入り口前に置き、私は家の中に入って彼を繰り返し呼んだ。明らかにスペンサーの尻尾は垂れ下がりおびえていて、彼は自分から屋敷内に入ることができなかった。やはり幽霊屋敷か?どうやらそのようだ。

街歩きをしていた時たまたま見つけた。エル・パレンケと書いてあるのだが、ここが本当に記事に紹介された幽霊屋敷なのかは分からず。そうは見えないが・・・

カルロスは私と通訳を連れ、家の中を案内してくれた。
エル・パレンケは1800年代に建造され、もしグラナダの最古の家でないとしても、最も完璧な形で残された歴史的建造物であることは疑いない。カルロスは床や壁、屋根はほとんど200年の間そのままだと保証した。

映画に詳しい人は、この家をエドワード・ハリスの映画「ウォーカー」のものと見破ることができるだろう。ウィリアム・ウォーカーはアメリカのテネシー州出身の兵士で、自らニカラグアの大統領にもなった悪名高い人物だ。エル・パレンケは、1857年にかの有名なリバスの戦い(中米混成軍によってウォーカーが倒された戦い)が行われた場所に位置する。

カルロスは私達を、小さな暗い部屋に連れて行った。

問題の部屋は外気温が華氏90度にも達するなかでも涼しかった。薄暗がりの中でカルロスは床上のしみを指差した。1990年初頭に、家の持ち主が姦通した妻とその愛人をここで発見し、彼らをマチェテ(斧のようなものだと思う)で殺害したのだという。

彼らをずたずたに切り裂いた後、家主は居間の梁から首を吊った。それ以来、幽霊が悲痛に泣き叫ぶ声が、食器やフライパンが落ちる音に混じって聞こえるという。さらにカルロスは壁の間や中を通る白い影を見たことがあるそうだ。

コスタリカ人のオーナーが現在、この家を恐い物好きのためにホテルとして開業しようと計画している模様だ。私はご免である。私は幽霊を恐がらないが、庭はアロヨ(日本語訳分からず)に面しているため、夜は恐ろしい毒サンゴヘビの住みかとなるからだ。

きっとグラナダの旅行業者たちは、間もなく幽霊屋敷ツアーを売り出し始めることだろう。シェルタバは現在個人所有の家だが、エル・パレンケとオテル・セビジェはいくらかのお礼を渡せば訪問することが可能である。

(旅行時期 2003年12月)

参考文献:「Between the Waves」(表紙をちぎってしまったので定かでないが、恐らくこれがタイトルだと思う)

 

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