〜中南米ふしぎシリーズ@〜
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| とある庭で見つけたこの石はまさか? |
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■不思議な庭石■ ある日コスタリカのカルタゴという町で、何気なく歩いていた私はふと足を止めた。 中学や高校の頃、私は世界の不思議な話が結構好きで、時おりそのテの本や雑誌を読んでいた。宇宙人は存在するのか?謎に満ちた遺跡や自然現象の数々、現代以上の英知を持っていたかもしれない古代人の存在、超古代に栄えたアトランティス大陸はどこにあったか?等々。時にはアヤしく胡散臭くも聞こえるそれらの話を、当時の私はゾクゾクしながら読んだものだ。 もう最近はそうした本とはほとんど縁がないけれど、中南米の旅を始める際に、ふと思いついて1冊買った。その名は「オーパーツの謎と不思議」(超古代研究会 編)。いまだに謎が解けていない不思議なものは、かつて読んだ数々の本によれば圧倒的に中南米が多かった。それを思い出して、そうした視点から旅をするのも面白かろうと思ったのだ。 そして案の定、この本には中南米関係の記事が多い。このコスタリカの石の球も「謎の人造大石球」として紹介されていたため知ったものだ。オーパーツとは、out-of-place artifacts(場違いな工芸品)という英語を短縮して作られた言葉。それらが発見された時代や場所にまったくそぐわない物であること、つまり過去や、いや現代でさえ不可能であることが成し遂げられている品物のことを呼ぶ。 ■コスタリカ謎の人造大石球■ それではこの石の球は、一体どういうものなのだろう?「オーパーツの謎と不思議」によれば、1930年代の初めに、アメリカ系の会社がバナナ農園を作るために開墾作業をしていた時に発見されたという。完璧な球形をした100以上の石球が、コスタリカのジャングルのなかにたたずんでいたのだ。 大きさはテニスボール程度から、2.6メートルに達するものまで実にさまざま。そしてさらに驚いたことに、それらの石球は一直線上に並んでいたり、幾何学模様に配置されていたともいう。 こんなものを一体、いつ誰が作ったのか・・・定説では西暦300年〜800年頃のものとされ、当時栄えていた先住民のディキス石器文化人が作ったものではないかと言われているが、さらに古い超古代に作られたという説もあるそうだ。この辺からちょっと胡散臭い香りに包まれてくるけれど。 そもそも謎の真球というほどだから、どうやって作ったのかも分かっていない。硬い石から真球を作るには非常に高度な技術が要るから、これらの石球を作るにも相当の労力を要しただろうし、それだけの労力をかけても可能であったのかさえ定かでないとのこと。 石球は花崗岩で作られているが、花崗岩は十数キロ離れた場所でしかとれないし、その運搬方法も謎に包まれている。かつその近辺で石切り場の跡は発見されていないのだそうだ。 そして一体何のために作られたのか。「天体をかたどったもの」という説もあるが、立証することが難しい。果ては「石球は宇宙船の模型だ」という説も飛び出したらしいが、もっともらしい説が現れない限り、こうした珍説も生き残り続けるのだろう。それほど不思議なものだということなのだ。 ■フリオさん宅を訪問する■ さて、通りがかりの旅人である私にこの石球の謎に迫るのはとてもムリだが、せめて現物を見てみたい。しかもちゃんとそれらが発見された現地を訪ねて。こう思った私は、数人のコスタリカ人から情報収集を始めた。 首都サン・ホセで、宿の親切なおじさんにこの石について尋ねてみる。すると彼・フリオさんが言うには、 これは思いがけないことになった。個人所有のあの石球と、現地人の家が見られるのだ。しかもフリオさんは、途中の民家の庭先にもいくつか、かの石があるという。その場所も教えてもらえるだろうし、こういう場合思い切って行ってみた方が、きっといい経験ができるに違いない。 そこで翌日サン・ホセを去るつもりだった私は1泊延ばすことにし、空いた1日をフリオさん宅訪問に宛てることにした。
翌朝11時に宿のフロントへ行くと、フリオさんはちょうど勤務が終わったところだった。これから私がフリオさんの家に行くということを知ると、ちょうど来ていた交代のおじさん職員は、 フリオさんと一緒に歩きながら話をする。彼の英語は私のスペイン語とどっこいどっこい。いや、もっとつたないかもしれない。必然的に会話はスペイン語になるのでかなり苦しい。 昨日、フリオさんはこの石球がどうやってできたかということの一説を、紙に書いて教えてくれたものだった。火山から溶岩が噴出し、それが山を転がり落ちるときにあのように丸くなったのだ、という説だ。 それはあまり信憑性がないなあ、と思ったが、続いて石が幾何学模様に並べられていた様子を描いて説明してくれた。石球を持っていることといいこんなに詳しいことといい、何かが違うと思っていたら、このフリオさんの本業は(副業かもしれないが)、なんと大学教授なのだということだった。 あの愛想のいい安宿のおじさんが、まさか大学教授!?そのあまりのギャップにびっくり。専門は「キミコ」と「ヘリオヒコ」。何のことやら最初さっぱり分からなかったが、化学と地質学のことらしい。 でもなるほど、それなら同じく教授の同僚があの石を持っていて、それをフリオさんにくれたという話も合点がいく。私は石球について質問するのに、非常な適任者を見つけ出してしまったというわけだ。ちなみにかなり年上だと思っていたら実は38歳だということが分かり、おじさんと呼ぶにはちょっと早すぎたかもしれないと反省。両親はポーランド系とのことで、フリオさんもポーランドの大学に留学したのだそうだ。 こうして話して歩く途中、フリオさんに示されて民家の中を見ると、庭の芝生の上に中ぐらいの石球が2つ置いてあった。カルタゴでもそうだったが、この謎の石はあちこちに分散して、個人の庭先や企業の入り口で、置物として使われていたりするのだ。この庭のものには、クリスマスのような電飾が張り巡らされていた。また他にもホテルのドアの前に、小さい石球が2つちょこんと置いてあるのも目撃することができた。うむ、早くも収穫あり!
歩きながらフリオさんが言う。「ここが両親の家。そして僕の家は、もう1ブロック行ったところだよ」 階段を登ってアパートの2階の部屋に緊張気味に入る。すると中に若い女性がいたのでちょっとぎょっとした。フリオさんとその女性は少ししゃべり、彼女はしばらくして出て行った。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして、1人で気まずい気分にひたる。「そりゃあそうだよな。何年も前に離婚したんだろうから、彼女ぐらいいるわな。これで私の身は安全だわ」ホッとしたような、それなのになんだか不満なようなわけわからない気分。本当はどういう関係の人だか全然分からないし、彼女のように見えたわけでもない。そもそもそんなことどうでもいいはずなのに。 家の中にいたのはその女性だけではなかった。閉めたドアの向こうからギターをかきならす音が聞こえてきた。アルゼンチン人の居候がいるらしい。これでますます安全だわ。 フリオさんは例の石球と一緒に、先住民が使っていたという石の道具を出してきて机の上に置いてくれた。石球は手のひらサイズで小さいが、確かに丸い。並べて写真撮影をするのを手伝ってくれた。
フリオさんの仕事部屋では、雑然と積まれた書類のほか、壁にかけられた女性の写真が目についた。離婚した奥さんの写真だそうだ。黒髪に黒い目を持った、中国人のようなきれいな女性。こんなところにデカデカと貼ってあるのを見ると、きっと今でも忘れられないんだろうなあ・・などと余計なことなど考えてしまう。 お茶をいただきながらおしゃべりし、フリオさんがギターを弾くのを聞いた後、家を出る。フリオさんは1ブロック離れた家族の家に寄って、ご飯を食べてから職場に戻るとのこと。私はそのまま帰ろうとしたが、導かれて家族の家に入った。 かなり歳をとったご両親がいて、私においしい家庭料理をふるまってくれた。わーい、現地人の家に招待されて、ご飯をもらってしまった!これぞ旅の醍醐味である。1日サン・ホセ滞在を延ばして本当によかった。そして何より、親切なフリオさんに感謝したい。
帰りにもまた石球が置いてある公園に寄ってくれ、私達は一緒に宿に戻った。宿でフリオさんをそれとなく観察していると、別に私だけでなくみんなに分け隔てなくフレンドリーで親切なのだった。この人本当にいい人だったんだなあ。大学教授やってるところなんて想像するのが難しい。もしかして宿の受付の方が似合ってるんじゃ・・? 勝手にこんなことを考えながらも、私はすっかりフリオさんファンになっているのだった。別れ際にメールアドレスを交換しながらフリオさんは、「僕は英語はしゃべるの苦手だけど、読むのはまだましなんだ。だから英語でメールくれても大丈夫だよ」と言ってくれた。ありがとう、フリオさん。きっとメール出すからね! その後かなり経ってからだが、もちろん私はフリオさんにメールを出した。英語でいいとは言われたものの、頑張ってスペイン語で書いた。フリオさんのためだもん! その結果はいかに・・・?もう何カ月も経っているというのに、実はその返事が来ないのである。フリオさん今頃どうしてるんでしょ。元気でいてくれれば、私は何も要らないわ・・・。
ゴホン・・、フリオさんの話ばかりになってしまったが、本題に戻ろう。 その後訪れたサン・ホセの博物館でかなり大きな石球に出会い、残る願いは本場でそれらの石を見るだけになった。聞いたり調べたりしたところによると、南部オサ半島入り口近くのパルマール・スールという町で見られるとのこと。 そこで私はさっそくそこを目指したのだが、あまりに小さい町だったらしく、気付かずにバスを乗り過ごしてしまった。 幸い乗り過ごしたため到着したのがゴルフィートという、オサ半島行きの船が出る場所だったので、私はそこからオサ半島自体を目指すことにした。鏡のように空を映すドゥルセ湾を船は進み、オサ半島南のプエルト・ヒメネスに到着。きっとここには、野ざらしの石球なんぞがごろごろ見られるだろう、と期待していたのだが・・!
観光案内所や宿の人に聞くと、なんとこの町近辺には石球はないとのこと。そんな、フリオさんはちゃんとこの近辺にも印をつけてくれたというのに。言葉がうまく通じていなかったのかもしれないが、とにかく「ない」と言われ、実際そこらを探しても見つからなかった。だから本場で石球を見たいという私の宿願は、結局果たされずに終わったのであった。 ■石球を見て思うこと■ ・・・というわけで、私が見たのはおもにサン・ホセの民家や博物館、公園などに置いてある石球だけだった。フリオさんが持っていた小さいものはともかく、ひとかかえもあるような大きなものを見ると、やはり不思議の感にとらわれざるを得ない。 表面はかなりきれいになめらかに削られており、全体の形は本当にきれいな球形なのである。私には到底作れないシロモノだ。一体どうしてこんなものが古代人に作れたのか、作る必要があったのか。いくら考えても謎は謎のままだ。 超古代に地球外生命がやってきて、人類にこれらの球を作る技を伝授したのだろうか・・・? もしかしたら中南米の全ての不思議が、宇宙人飛来説が証明されてきれいに解決してしまう日も、いつか来るかもしれないのだし・・・! (旅行時期 2003年12月)
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