路傍の糞の河原へ遠足
ローマのニワトリ小屋は、はしご、高いとまり木、巣、それにキツネやイタチを近づけないようにする、しっかりしたはね上げ戸などがついていた。
ネズミを寄せつけないようにするため、壁が深い土台の上につくられた。
一つの小屋には、四〇ー二〇〇羽のニワトリが飼われていた。
大きな小屋は内部がいくつかに区画されていたので、おんどりたちは、それぞれの連れあいのめんどりとともに、ほかの「家族」とは離れて住むことができた。
さて、ローマ人は、巣についためんどりはほかの家禽の卵でさえも抱きたがることを知っていた。
めんどりはまた・自分がかえしたガチョゥ、カモ、クジャクや繊細なチャボのひななどに対しても献身的に母親の役割を果たした。
ローマの貴族たちの家禽銅育場のなかで、幼いキジやクジャクのひなが・かれらの乳兄弟たちといっしょに走りまわっているのは、ほほえましい光景だったであろう。
このことは、ローマの家禽銅育農家が知っている唯一の知見ではなかった。
そのうえかれらは、家禽をなやます害虫の駆除に有効な方法を開発していた。
すなわち、ハジラミやダニを殺すため、製バン所から鳥小屋までパイプを使って煙を送りこんだといわれる。
コウノトリはギリシアやローマでも鍔われたが、ここではかれらは食べられる運命にあうた。
ローマ哮代の最悪の覇膨鮃には・フラミンゴの舌を食べる物好きまで現れたDさいわいにも、この美食家のゆき過ぎは長続きしないで、現在、南ヨーロッパの水の豊富な地方にすんでいるフラミンゴは、絶減からまぬかれたのである。
これらのかわいらしい、かよわい永鳥は、テベレ川の草地を「とき色に染めた」といわれる。
こんにちでは、フラミンゴはローヌ川の三角州やグアダルキビル川畔にあるスペインの白然保護区に生息している。
うれしいことに、これらの場所には、いまだにフラミンゴの大群がいて、厳重に保護 きれている。
ヘロドトスの時代までさかのぼると、カルタゴ人は北アフリカ産のあらゆる種類の装飾用の鳥の取り引きを盛大におこなっていた。
ギリシア人はかれらから、きれいなホロホロチョウと同様に、ヤマウズラに似たシャコや、小型のウズラを入手していた。
これらの鳥は、原産地ではもともと食用に狩られていた。
けれども、ヌミディア入(ベルベル人)は、すぐにこれらの鳥をわなで捕りはじめた。
この鳥たちは、当時、北アフリカの肥沃で水にめぐまれた地方にたくさん生息していた。
ヨーロッパに輸入された鳥たちは、ブリンディジ港[アドリア海]からトリール[西ドイ玖の都市]にかけての都市で、急速に新しい風土に馴れていった。
そして、さかんに飼われるようになった。
これらの鳥は、いまでも装飾用に飼われているけれど、アフリカ産のウズラは、最近ではおおかた中国の小型のウズラにとって代わられるようになった。
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