路傍の糞の河原へ遠足
すべての時代、すべての国において、おんどりの主な役割は一日のはじまりを告げる生きた目覚まし時計であった。
現在でも田舎ではその声は入びとに朝のおとずれを告げている。
日時計、砂時計や水時計などは、時間をはかるために用いられたが、これらはすべて音を出さなかった。
おんどりは共同生活体の起こし屋としての役目をつとめてきた。
おんどりが鳴きはじめると、田舎の百姓や町の職入たちはベッドから起きあがった。
いっぽうガチョウは、あの有名な警戒鳴きを利用されて、夜警として飼われた。
かれらは異様なもの音を聞くと、とたんにガアガアと鳴きはじめるのである。
小学生はみな、カピトル丘[古代ローマの七丘の;]のガチョウの物語を知っている。
紀元前三八七年、ローマがガリア人に包囲されていたときのこと、ガチョウがユピテル[ジュビタ↓の神殿の丘の近くで飼われていた。
ケルト入の兵隊が、夜に攻撃用のはしごを使ってタルペイアの岩を登ろうとしたとき、もの音に気づいたガチョウ穿アガアさわいで甕きった蕃兵耄耄こしたので、尋つくその攻蓑耄すことができた。
これらの極い焼きにしたガチョウを食べる特権が与えられた。
幸票ことに・私たち竺リウス・ヵヱサル[・テアス・シ妾-.紀元前までさかのぼって、難翻飼育にかんする広範な報告書を手に入れている。
それは、マルクス.テレンティウス・ヴァロによる農業書である。
この本は、当時の農業についての膨大な編著で、私たちにローマ共和国の農業事情を非常にはっきりと教えてくれている。
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アテネ入は、かつてクジャク一羽に対して一万ドラクマ[ドラクマは古代ギリシアの銀貨]近くも支払わなければならなかった。
いっぽう、りっぱなおんどりは、たった五ドラクマから一〇ドラクマのあいだであった。
アレクサンドロス[アレキサンダー]大王は、インドでの戦役でこの高貴な鳥を知って、その国の法律を尊重するというかれの政策にもとづき、白分の兵士たちにクジャクを殺すことを禁じた。
ローマ人が、クジャクの肉に対する嗜好をつちかった最初の人間であろう。
ローマの"新輿成金たち"は、郊外の私有地でクジャクを繁殖させた。
かれらは、ちょうどフラミンゴ、ツルやキジでおこなったようにクジャクを太らせ、そしてその舌や肝臓を異国風のごちそうのメニューに加えたのである。
こうして、クジャクはうつろな虚栄とぜいたくの象徴となった。
偉大なキケロはもちろんのこと、ローマの風刺家や弁士たちは、宴会にクジャクの肉を出し、自分をその羽で飾るみえっばりの人びとに対し、鋭い皮肉をあびせていた。
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