路傍の糞の河原へ遠足
都市で野能し穿美トは・しばしば寒な警のぼるので、やっか薯あつかいされて、多くの自治体がこれらの鳩にたいして戦いをいどんでいる。
ある都市では、鳩は毒入りの穀粒で殺された・いっぽうでは、鳩に餌を与えることは蓉で規制された。
しかし・かれらが号責めは・建物や記念碑の上に誓残すことだけで、あとはごくごく稀に鳥類ウイルス病の媒介をすることくらいである。
けれども、もしベニスの聖マルコ広場やハンブルクのラタゥス広場・あるいは・ンドンのヒフファル苧広場に鳩がいなかったら、いったいどんなこと挺なるだろう。
古代の航空便 こんにちでは、私たちは、何千年ものあいだ鳩が人類に対してユニークな手助げをしてきたことなど、めったに思い出さない。
が、かつては、しばしば生死にかかわる問題の情報伝達によって、どのばあいでもこの小さな鳥は最高の感謝を受けたことであろう。
鳩郵便は、たぷん中国ではじめられたものらしい。
紀元前五〇〇年にさかのぼり、皇帝とその地方長官たちは、鳩を天かける使者として送るため、その帰巣本能を利用した。
皇帝の地方長官たちが駐在していたあらゆる町には、鳩小屋が設けられていた。
政府の役入は、旅に出るとき常に伝書鳩のかごをたずさえていた。
こうして、かれの音信は馬を駆った急使が何日もかかって目的地に到着するのにくらぺて、数時間で皇帝のところにとどけられたのである。
=二世紀にクビライ・カン[忽必烈汗]は、鳩郵便中継制度を中国全土に拡大した。
一九世紀まで、最後の中国の女帝の宮廷では、まだこの「帝国鳩郵便」がおこなわれていた。
スペイン人がメキシコのアステカ帝国を侵略したとき、かれらは市場でふとったイヌが売られているのを見た。
しかし、豚はいなかった。
新大陸にはじめて豚を持ちこんだのは、コロンブスである。
かれは二回目の航海二四九三!九五年]のとき、八頭の豚を船にのせていたといわれる。
アメリカ大陸発見の歴史家ラス・カサスは、『インド史』(一五五九年)のなかで、これらの八頭の豚が「こんにち、すべてのインド諸島に引き続き存在し、そして今後も存続するであろう」すべての豚の先祖であると主張している。
一八世紀末に、ドイツでは豚を忌みきらう風潮が現れ、それはなかば公式に奨励されたもののようである。
一七九二年発行の教科書のなかで、ラフという校長は次のようにきめつけている。
「みにくい、いやらしい豚は常に汚物や下肥のなかをころげまわる。
豚は地面を掘ってネズミや虫を探して、その他の汚物といっしょにむさぼり食う。
それで、トルコ人と同じく、古代からユダヤ入は豚肉を食べることを禁じられている」 この教育者はあきらかに農家の出ではないらしく、大胆にこんなことも断言している。
「ネズミ類は数週ものあいだ同じ場所に横たわったままになっている豚の背中に巣をつくり、皮膚や脂肪をかじるが、豚はそれでもまったく無頓着である」
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