路傍の糞の河原へ遠足
「それは人の不安と悲しみ(不安定な人間俘在と.有限の人の陦間の]をおだやかな植物の成長を借りて、やさしく救い出してくれる芸術(?}である」「ただし、そ拠は芸術ではない。
深沢氏が鉢植え泥棒のところで報告したように、数日もすれば形が変わってしまってDこれほど安金な盗品はない。
ところの鉢植えは永久に客観憧を主張することがない。
鉢植えはやはリホピーである」 気鋭の社会学者らしくさすがに鋭く問題点をついている。
鉢植えの素材が生きものであり、形が変って行く特性がある限り、それは永久の審蝦性はもち得ないから、鉢植えは芸鑓ではない、といわれるのである。
しかし、「芸術にも典型的な極と周辺への移行がある」わけで、何から何まで芸術としての本質にのうとっていなけれぱ芸術ではない、とまではいえまい。
私は、急速に多様化して行く現代社会のなかで、第四、第五の芸術が生れてきてもよい、と思う。
だが、いずれにしても鉢植え界に其の芸術家が出現しなければ、この間蟻は解決しないであろう。
制約された自然ー整形の心理-は鉢植えに対する賛莢の声とともに、また、誹誇の声も、絶えたことがない。
入間にはそれぞれ好き嫌いがあるのだから、嫌いな人々から悪口がよせられても、さして気にする必要もない、といえばそれまでのことだが、ここでは、鉢植え界の先人たちがそれらのなかでのもっとも高い声にどのように答えたかふりかえってみよう。
なぜならば、それは鉢植えの本質についての逆方向からの解明になるからである。
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ヤギのバイタリティ。
ヤギは、近縁のヒツジのように大群ではけっして飼われなかった。
ヤギがたくさんいる小アジアや北アフリカでは、この動物は植生にたいしてひどく破壊的であるといわれている。
多くの地域で牛やヒツジや雑食性の豚とは違って、ヤギは草よりもむしろ木の葉や灌木と木の小枝を食ぺ、さらに木の皮まで食うということがわかったときは、すでに手おくれであった。
地中海周辺の多くの地区は、乱暴で悪さをするヤギによって食い荒らされてしまった。
いっぼう、ヤギの飼料はいたるところにあり、その乳とチーズは中央アジアからエジプトまでの全域と、のちにはギリシアとヘルベティア[現在のスイスをふくむ古国]にまたがる人びとの食卓をにぎわしてきた。
この動物の有用性を考えると、ヤギが灌木に与える害など大目に見ないわけにはいかな かったのである。
ひでりや飢饉のときでもヤギは乳を出し続けてくれるし、また、ほかの肉にありつけない貧乏な人びとは、ときどき子ヤギの焼肉に舌つづみをうったことであろう。
ヤギの皮は靴用に使われ、また手のこんだ羊毛製の高価なカーペットを持っていない貧しい人たちの家の床には、染色されてヤギ皮が敷かれたことであろう。
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