分離派とファムファタルA

 ウィーン分離派(Secession)が創立されたのは1897年。
「我々は、型にはまった芸術、硬直したビザンチン主義、あらゆる形の悪趣味に戦線を布告する……我々の分離は、古い芸術家に対する新しい芸術家の戦いではなく、芸術家と自称しながら、芸術を開花させるはずのない事柄に商業的関心を抱く物売りの輩に抗いして、芸術家の地位を高める戦いである」
 と宣言したのはヘルマン・バール。
「偉大な芸術」と「亜流芸術」、「富者の芸術」と「貧者の芸術」の区別をなくす事。
 社会的、政治的、芸術的保守主義が芸術の世界に対する強制力から、自らを解放することを目指す若い世代の反発は激しい力で道を切り開く。

 


「第1回分離派ポスター」 検閲前

「第1回分離派ポスター」

 このグループの展覧会を皆、首を長くして待っていた。
 分離派館は創立の翌年3月には開館の運び。
 ポスターを描いたのはクリムト。
 裸のテセウスは新しいものを求める象徴。
 ミノタウロスは恥じ入るように物陰に隠れテセウスの拳で突きぬかれる。これは打ち砕かれた権力か。
 全能の神ゼウスの頭から生まれた知恵の女神アテナが見守り、メデューサが分離派の敵を嘲笑する。
 検閲後のポスターに一本の樹木があるのは、検閲官の羞恥心を配慮したもの。
 クリムトの描くエロティシズムが、絶え間ない論争を巻き起こしす。


 




【運営会社「パラダイムシフト」サービス】

無料ホームページ   携帯ホームページ   無料ホームページ作成   レンタルサーバー   ブログ   ホテル   アンドロイド   タイムセル   口コミ   格安国際電話   宿泊料金比較