序章 ウィーンにて
 昔々、と言ってもそんなに昔ではない。
 たかだか100年ほど前のウィーン近郊の町に、貧しい家族が住んでいた。
 貧乏人のなんとやら、グフタフ・クリムトは7人兄弟の2番目だ。
 彫金士の父の元、芸術的才能には恵まれた。
 14歳でウィーンの工芸学校の学生に。
 弟エルンストと友人フランツ・マッチュと一緒に7年間。
 砂地に水が染み込むように、モザイク画からフレスコまで様々な技術を学んだ3人は、美術史館の中庭装飾を手がける。
 このとき、クリムトわずかに17歳。

タオルミナの劇場1886−1888
 
クリムト初期の頃の作品のひとつ。
 学生時代に弟とともに写真を基にした肖像画を売りさばいていたと言うクリムト。
 このころのクリムトは写真のようなリアルな画風。

ピアニスト兼ピアノ教師ヨーゼフ・ベンハウアーの肖像
1890年

 写真風の技法の一つとなった肖像画。額縁は古代ギリシャ、ディルフィの神託をモチーフ。


婦人の肖像

1894年
 同じく写真のようにリアルで、クールな表情の女性。とはいえ、どこか色っぽさが・・・

「彫刻」のアレゴリー
1889年の作品。アレゴリー(寓意)は当時良く描かれた題材の一つ。

 

 


寓意画《悲劇》のための最終的素描習作

1897年
美術史館の壁画に美術史全体を描くのがクリムトの使命だったはず。
クリムトはモデルの女性にウィーンの娼婦の外観を与えると言う誘惑には勝てなかった。


 23歳で皇妃エリザベートの別荘ヘルメスヴィラの内装を、24歳でブルク劇場の内装で独自のクリムト様式を確立。
 26歳の年には皇帝フランツ・ヨーゼフから黄金功労十字賞を授けられる。
 順風満帆の芸術家人生。
 転機が訪れるのはこれからだ。

 

続 く

 


 

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