FILE100
クロヤツシロラン  Gastrodia pubilabiata Y. Sawa 
ラン科 Orchidaceae )  

 石川県で最初に発見されたのは、1979年10月29日で、金沢大学理学部の学生実習の折りに加賀市で採集され、故里見信生先生が「アキザキヤツシロラン」と同定され、「私は若狭湾以北には発見されることがないであろうと思っていただけに、いささか意表をつかれ、しばし驚きの目でながめる始末であった。」(里見. 1979)。と記述され、我が国における分布の北限として注目されたものです。〔注:上記採集日付は原著の誤記です。なぜなら、この報告の出版が、1979年7月15日だからです。〕
 その後、同定の誤りであるとし、「クロヤツシロラン」であると訂正されました。(クロヤツシロランが新種記載されたのは 1981年です。)

 全国分布は、千葉、神奈川、静岡、愛知、福岡と限られ、福井、徳島、高知、宮崎、鹿児島で現状不明となっています。(環境庁. 2000)
 なお、環境省は、レッドリストの第2次見直しの結果、平成19年8月に、新たなレッドリストを公表し、「フクジュソウ、キスミレ、クロヤツシロランは新たなデータを基に見直した結果、ランク外とした。」(http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=8648)

 一度実物を見たいと思い、何回(何年)も先の現場へ赴きましたが、ついに見つけることができませんでした。(近年、その場所は無視して素通りしています。)
 2年前、友人のT氏のご案内で別の生育地を見ることができ、その特異な姿に驚きました。始めは、「そこに花があるから踏まないで」と言われてもまったく見つけることができないくらい地味な花でしたが、その時の経験から私自身も新たな生育地を発見できました。他に、金沢市の竹林にも見つかったことがあるとのことで石川県での産地がふえつつあります。単にこれまで知られていなかっただけなのか、地球温暖化により分布が広がってきているせいなのかは分かりませんが、つぶさに観察できましたので、報告をいたします。
 踏み荒らされては困りますので、産地の詳細については堅く秘密とさせて頂きます。場所が特定されそうな表現も一切差し控えさせて頂きます。

図1 クイズです。
クロヤツシロランの生育地を真上から見たもの。いくつの花(蕾)が見つかりますか。(2003年10月4日)
。緑葉はテイカカズラ。落ち葉はスダジイ。右端のテイカカズラの葉に接しているのはスダジイの果実です。

 ランといっても極彩色の花でもなく、小さく、地表すれすれに地味な色で咲くので、花の時期に見つけることは容易ではありません。花を探すために踏みつぶすことがないよう細心の注意が必要でした。
 クイズの答えですが、真上から見たものなので分かりにくいとは思いますが、実際に自生地では、人の目の位置が高いので、こういう見え方をしているわけです。枯葉そっくりの色なので画像による判定は困難ですが、原図でみると18個までは数えられました。
 こういう色の花は一種の保護色なのでしょう。何から保護しているのかは分かりません。クロヤツシロランが望んでかどうかは別として、少なくとも人間の目から保護されていることは間違いなさそうです。
 クロヤツシロランは腐生植物(腐生ラン)といわれ、葉緑素をもたず、腐植質の豊富な場所に生きています。どんな菌類とどの程度の共生あるいは寄生関係にあるかは分かりませんが、葉緑素をもたない以上菌類が分解した有機物に頼った生活をしているのでしょう。

 

図2 これが花。中央で下向きに尖っているのが唇弁で、ここに毛のあるのが特徴だ。(2003年10月4日)

 いきなりこの花を見せられても、あまりに奇っ怪な姿なのでよく分かりません。順を追って紹介いたします。一つ言えることは、唇弁に毛が生えているのがクロヤツシロランの大きな特徴だということです。

 属名の Gastrodia はオニノヤガラ属で「胃」すなわちギリシャ語のgaster に由来し、オニノヤガラの花の形が胃のようであるところから付いています。種小名の pubilabiata は「細毛ある唇形の」という意味なので、図2のように唇弁に毛のあることを指しています。

 なお、実際の自生地は常緑樹の樹下で極めて暗いところです。自然光での撮影は困難でした。ストロボではテカってしまいうまくいきません。図2及びこのあとに登場する超接写の写真の多くは、NIKON のCOOLPIX990に「MACRO COOL-LIGHT SL-1」というリング状のLED光源(ストロボではありません)を装着して撮影したものです。光量はあまり多くありませんが、超接写には役に立ちます。COOLPIX愛用でマクロ撮影挑戦の方はぜひ購入されると良いと思います。

図3 ポンチ さんから借用したアキザキヤツシロランの花。図2と比べると違いがよく分かる。

 ところで、石川県で初めて見つかったときに「アキザキヤツシロラン」と誤認されたように、特に果実では、両者はよく似ています。ネット上でもときどき議論になることがあるのですが、アキザキヤツシロランの生品を見たことがありませんので、私にはよく分かりませんでした。しかし、花の構造では、はっきり区別がつきます。このほど、ネット仲間のポンチさんから、千葉県のアキザキヤツシロランの花の画像をお借りすることができました(図3)。唇弁に「毛」のないことがはっきりと捉えられています。花の形も異なっています。花色も違っているようですが、色は、撮影光、ホワイトバランス、露出によって微妙に変わりますし、個体差もありますし、そして何より、モニターの調整がそれぞれのパソコンで同じであることはありませんので、ポンチさんが認識されている色と私が見ている色と、読者の方がご覧になっている色とがどのように違うかが全く分かりませんので、言及しにくいのですが、多分、クロヤツシロランより黄色味があるのだと思われます。 

図4 小さな蕾が落ち葉の間から顔を出す。 図5 花は意外と小さく、うつむき加減に咲くことが多く、撮影は大変だ。

図6 横顔 図7 節間。花茎の節間が著しく短いのも特徴だといわれている。図4〜7で理解して頂きたい。

図8 完熟した果実。この図の中で最高のものは23.5cmの高さがあった。

図9 完熟した果実 図10 種子をこぼし始めた

図11 種子がこぼれている 図12 種子を完全に飛ばしきった果実。(2003年9月30日)

図13 種子。とても細かい。マイクロメーターの1目盛りが25μm(0.025mm)なので、種子の長さは約1.9mm、最大幅が約0.15mm。

 クロヤツシロランはお世辞にもきれいな花とは言い難いです。枯葉のような汚い色で、萼片の外面にはイボ状の突起が沢山あり、そこだけ色が淡くなっています。
 花は小さく見つけにくいのですが、果実(刮ハ:さくか)になると花柄(果柄)が30cm近くまで伸びるので、これまた異様な光景となり目立ちます(図8)。そこで、初めてこれを見ると、「???」ということになります。
 図8が完熟して種子をこぼし始めた果実ですが、地表から23.5cmの高さになっていました。(2003年9月30日)

図14 ちょっと触っただけで株が取れてきた。根茎(塊茎)は蛹(さなぎ)のような形をしている。

図15 根茎の表面を白い菌糸のような毛がおおっていた。(2003年10月4日)

図16 奇妙な根状器官が付いていた。根茎に付く毛は少ない。
図17 根状器官のアップ。根茎から伸びている。(2003年9月30日)

図18 根状器官がうじゃうじゃに発達していた。(2003年10月4日)

図19 根状器官の始まり 図20 突起の皮を破って根状器官が伸びてきた。
図19に見られるような突起が根茎のあちこちに見られました。これも何かよく分かりませんが、図20の様子から根状器官のできはじめであると判断しています。

 観察中にちょっと触ったら簡単に抜けてきました。なんと蛹(さなぎ)みたいな根茎で地中というより、単に落ち葉に隠れているだけという状態でした。
 根茎(塊茎)の周りには菌糸のような糸状のものが付いています(図15)。植物の世界(1996)ではアキザキヤツシロランの項目で
「塊茎の表面は毛におおわれる。」とあります。私は共生する菌類と関係があるのではないかと思うのですが、クロヤツシロランの場合も単なる毛なのでしょうか。この毛のようなものは、多い場合(図15)、少ない場合(図16)、ほとんど見られない場合(図14)といろんな状況があります。

 観察中に図16・17・18のようなものも見つけました。始めは根かと思い興味を持って撮影したのですが、違うような気もしていました。その後、神奈川県植物誌の
アキザキヤツシロランの解説文中に「梅雨期には黄褐色をした糸状の根状器官を盛んに伸ばす。」との記述を見、図16・17・18を見て、これだ!!という気がしたので掲載しました。どなたか、クロヤツシロランに詳しい方のご助言をお待ち申し上げます。

 次は、いつものように失礼して花の解剖をいたしました。とても複雑ですが、ご覧下さい。

図21 花は地表すれすれの位置で、うつむき加減に咲くことが多いので、このように中を完璧に映し出すことは、COOLPIXのようなレンズ回転式のデジカメか、アングルファインダーが無いとなかなか困難。(2003年10月4日)

図22 蕾の左横面。上側の萼片(背萼片)と左側の側花弁とを取り外してある。
 毛の見えるのは「唇弁」、中央左の淡黄色のドーム型をした部分は「葯」。葯から右へ伸びる構造が「蕊柱(ずいちゅう:雄しべと雌しべが合着したもの)」で、褐色の縁辺部が翼状に広がり先端が葯を抱くように見える。

図23 花の上半部を内側から見た図。
 蕊柱の基部は色が変わってぬれたように見える。
蜜腺ではなかろうか。葯の下部あるのが嘴体(ひたい:自分の花の花粉が自分の柱頭に付かないようにガードしていると言われる構造)だと思う。この2点については的確な参考文献を持ち合わせていないので、私の推量である。専門家のご意見を頂けるとありがたい。
図24 蕊柱の先端部を腹面から見た図。2個の花粉塊が見えている。 図25 葯を取り出した図。ドーム型の内側に2室があり、それぞれに花粉塊が入っていた。

図26 花粉塊。このようなブロックが沢山集まって一つの花粉塊を作る。1目盛りは25μm(0.025mm) 図27 花粉塊の一つのブロックを拡大してみると、多数の花粉の集合であることが分かる。

図28 柱頭に花粉塊の付いた花。

図29 子房の縦断面。白く小さな粒々は「胚珠(はいしゅ)」。これが受精するとそれぞれ1個の種子となる。その種子の数は莫大だ。図の左端で光っているのは柱頭。
図30 子房の横断面。子房が3室構成であることが分かる。
 

 次に花の下半部(唇弁の上面)を見てみましょう。

図31 花を水平に切断し、下半部を見た。瘤(こぶ)があって毛むくじゃらのところが唇弁。左の白く輝く部分は子房の断面。

図32 唇弁の先端は嘴(くちばし)状に尖り、2個の瘤のような隆起線をもつ。毛が沢山生えているが、アキザキヤツシロランと比較するときの大きな特徴の差となっている。

図33 唇弁の中央部にも短い毛の生えていることが分かる。基部には2個の黒い球体(こぶ)がある。

図34 唇弁基部の球体の拡大図。何とも奇妙なもので、私の表現能力が及ばなくて説明ができない。

図35 クロヤツシロランの保護を求める看板

 最後になりましたが、最初に自生地をご案内頂いたT氏は、貴重種の保護活動にも驚くべき積極性を示される方で、地元の区長さんの理解を得、図のような看板を掲げ、保護がなされています。
 この看板の左側に赤煉瓦が2個見えますが、これはT氏が、観察の際にクロヤツシロランを踏みつぶさないための足場用にと、これも区長さんの了解を得て、自費で現場に敷設したものの一部です。

 文献

里見信生. 1979. アキザキヤツシロランの新産地. 植物地理・分類研究.105:33.
橋本 保.
1996. オニノヤガラ. 週刊朝日百科 植物の世界. 103:212. 朝日新聞社.
秋山 守・
佐宗 盈.
2001. 神奈川県植物誌:ラン科:506. 神奈川県立生命の星・地球博物館.
豊国秀夫. 1988. 植物学ラテン語辞典. 至文堂.
牧野富太郎・清水藤太郎. 1939. 植物学名辞典. 春陽堂.
正宗嚴敬. 1986. 日本の自生蘭写真と図 第二集:43. 個人出版.
環境庁 編. 2000. 改訂・日本の絶滅のおそれのある野生生物 植物T(維管束植物):403.


 長いFILEに最後までおつきあい下さいましてありがとうございました。
 ランの花の構造に(も)不慣れで間違いもあろうかと思いますが、お気づきの点は遠慮無く御教示下さい。

  メールアドレス  mizuaoi@p2222.nsk.ne.jp


花模様