
母校のお祭りに行ってきた。
何年、いや何十年振りだろ。
久し振りに母校を覗いてみたいというのもあったが、もう1つ目的があった。
自分の娘に父親の出た学校を見せてやるという事。
ただし、ソレだけではない。
父親が、どういう学生生活をしてきたか。
現場に行って直に教えてやりたかった。
私の学生生活。
その4年間は、生涯で最も長いと感じた4年間
と言っても過言ではない。
「一年地獄」
「二年奴隷」
「三年人間」
「四年神様」
と言われ続ける体育会の縦列世界での4年間だった。
今では古臭いかもしれないが、正に硬派の体育会系の学生生活を送ってきたのだ。
卒業してから早二十年。
当時よく利用した経堂の駅は、昔日の面影も無かったが
そこからキャンパスまでの所謂「農大通り」は
二十年前とそんなに変わってなかった。
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商店街には、7年ぶりの出場を決めた「箱根駅伝」の祝いの横断幕が掲げられていた。 |
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経堂の駅から30分ほど歩くと農大一高が左に見え それに対して大学の校舎がある。 私が居た頃には、家畜を育てる飼育所や厩舎があって一種独特な臭いを 漂わせていたのだが、今はもうその臭いも無い。 小奇麗になり、インターロッキングで舗装され 植え桝が出来、そこには樹木が植栽されていた。 校舎もほとんどが当時のままだったが、一部高層の造ったばかりの校舎も幾つかあった。 |
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私たちは、始め模擬店の中を素通りしてから懐かしい構内を見て回った。 剣道部に所属していた私は、剣道部の寮に入るよう薦められたが 構内にあった一般学生(当時どの部にも所属していない普通?の学生をこう呼んでた)の 入ってる寮でも構わず、強制しないという事だったので 4つある構内の学生寮の1つに入らせてもらった。 今は、無くなってしまったが。 (当時、ガス・水道・電気全部ひっくるめて年間2万円だった。) (上左の写真奥が剣道部の寮「剣雲寮」。昔はポロポロの木造だった) (右の写真は、昔の構内の学生寮があった辺り。今は近代的な校舎に変わっていた。) しかし、肌に感じる何かは、二十年の歳月が経っても同じである。 昼休みの応援団の太鼓の音。 教室の外で聞こえる「押忍」の声。 眠い目をこすりながらボンタンジャージで出席した授業。 己の偏見のみを教えつける哲学の教授。 当時のことが鮮明に思い出される。 冒頭にも書いたが、1回生は正に地獄だった。 体育会は、1つ学年が違うだけで天と地ほどの差がある。 キャンパスで先輩が見えたら遥か向こうに居ても「押忍!」と大声で挨拶し 先輩のとこまで猛ダッシュで近寄り「失礼します!」と言って通り過ぎなければならない。 練習までには先輩たちの干しておいた道着を綺麗に畳み道場をチリ一つ無いよう掃除する。 そんな事は、1年として当然のことだが、仕来たりというか1つ上の先輩から教わる規則というのがある。 思い出しただけ箇条書きに記す。 一つ、年5回ある合宿(地方合宿も含む)の為に強制的にバイトをさせられ 合宿の費用をそれで捻出する。(練習後なので主に夜間のバイト=交通整理の警備員) これは、4回生も強制させられることだが、意地の悪い先輩は後輩に全て押し付けた。 一つ、先輩と居るとき、先輩がタバコを咥えたら火をつける。 それもライターではなくマッチじゃないといけない。 その火を消すときも両手で隠すようにして口で吹いて消さなければならない。 一つ、1回生と2回生は、基本的にボウズ頭。 3回生になって4回生から「長髪許可」が出るまでは伸ばせない。 一つ、タバコは先輩の居るところで吸ってはならない。 (これは、1回生に限るが) 必然、隠れてコソコソ吸うことになる。 高校時代の、或いは中学時代の延長のよう。 一つ、先輩から勧められた酒は、飲めなくても残さず飲まなければならない。 それも徹底的に飲まされる。 翌朝、自分の吐いた○ロの中で寝ていたなんてことはザラ。 一つ、先輩の受け答えには必ず頭に「押忍」をつける。 キャンパス内や外で会ったら大きな声で「押忍」と挨拶をする。 例え電車内とかでもそうする。 ただし、先輩から予め「外では恥ずかしいからしないでくれ」と言われた場合は例外。 とまあ、まだ数々の仕来たり、慣例は数知れずあるが 思い出しながら書いてみた限りでもこれだけある。 授業後の練習も甘ちゃんだった私には凄まじいものだった。 特に成人式を迎える2回生の時の「成人合宿」はイジメさながらのシゴキだった。 しかし、それはあくまでも先輩の愛の鞭というものか。 長い4年間の中で極めて長い一週間だった。 剣道には、打突部が「面」・「小手」・「胴」・そして喉部への「突き」があるが 3回生からは、ボコボコ「突き」を食らう。 立てなくなるほどシゴカレても容赦なく上から面や胴を打たれる。 それが朝・昼・晩1週間続く。 血の小便が続いたのもこの頃だ。 そんな中 金が無く食材も買えないヤツが居た。彼は、送られてきた米(家が農家だった) に醤油をかけただけで食い繋いだ。 ヤツは、それだけで地獄の合宿を乗り越えたのだ。 空いてる時間は読書をしていた。(金が無いので図書館で本は借りていた) ソイツは、私の親友で特待生だった。 私は、ソイツの真似をした。 親からの仕送りが一切無く、バイトで4年間の授業料を払い卒業したヤツも居た。 私の周りは、1つの目的の為にハングリーな奴等ばかりだった。 地獄の1週間が終わるのが1月15日の「成人式」の日。 その日、2回生は全員寮(剣雲寮)の前で一升瓶を回し飲みして 上半身裸になり明治神宮まで行き、境内で大根踊りをして終了となる。 (大根踊りは、新宿の歩行者天国でもやった。) 境内には、人が集まり写真を撮っていた。 特に外人が多かった。 私は、この学生時代に「羞恥心」というものを置いてきたような気がする。 兎に角、大学の4年間というものは、長く辛かった。 ある暑い夏に 実家が苦しくてバイト先から前借して逆に仕送りをしたこともある。 その為、夏休みの2ヶ月間、練習とバイトだけになった。 授業は、必須科目以外は出た覚えは無い。 後輩に代弁させて取った単科もある。 卒業間際、学生寮にある風呂場で一般学生が「楽しい学園生活だったな」「もう一度送りたい」 と言ってたのを今でも覚えている。 コンパとか合コンなどというものは、全く縁が無かった学生時代。 しかし、私はその学生生活が無駄な時間だったとは思っていない。 あの時のことを思い出せば今はどんな事も苦にならない。 あの時の辛さ苦しさは、今仕事や日常の中で生きていると思う。 娘には、自慢ではないが。 その当時のことを話すことで、古いかもしれないが忍耐と根性というものについて 考えて欲しかった。 |
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| 何十年か振りに行ったが 探検部の豚の丸焼きは、まだやっていた。 子ギャル達がギャーギャー言いながら豚をバックに携帯で記念撮影をしていた。 |
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